『ステイト・オブ・ドッグス』

slowlearner_m2009-04-25



私は猫ストーカー』のことを考えていたら、以前に配給した『ステイト・オブ・ドッグス』をいう映画のことを思い出しました。この映画は、ピーター・ブロッセンとドカルディン・ターマンという二人の監督によるドキュメンタリー作品であり、映像詩とも言うべき作品です。


映画の舞台となるのはモンゴルの首都ウラン・バートル。ここには、当時人口80万人に対し12万匹もの野良犬がいたのです。ここにバッサルという一匹の野良犬がいました。ある日、バッサルはドッグ・ハンターに撃たれ死にます。モンゴルには「犬は死ぬと人間に生まれ変わる」という言い伝えがあるそうですが、これまで人間に裏切られ殺されたバッサルからは、人間に生まれ変わる気持ちが失われてしまうのです。

バッサルの思念は彷徨います。ゴミ溜めに横たわる自らの亡骸を見つめ、人間になることにためらいを抱くバッサル。それでも、自らの運命を受け入れようと、バッサルは自分の記憶を辿る旅に出ました…。彼は思い出します。牧羊犬として草原で羊を追っていた日々を。そして、飼い主の遊牧民たちが都市へ移住することを決めたとき、彼は荒れ地に捨てられたのです…。

そして同じ頃、一方では新たな生命の誕生を待ちわびる大きなおなかをしたひとりの女性がいました。バッサルは、この女性の子供として生まれ変わるのでしょうか?

二人の監督は、4年にわたって膨大な数の野良犬を撮り、都市化するモンゴルの人々の暮らしを撮り続けました。そして、その映像から、ひとつの寓話を導き出したのです。だからバッサルは一匹ではありません。モンゴルの路地裏に暮らす野良犬たち、すべてがバッサルなのかもしれません。


今でもとても好きな映画です。

ベルリン映画祭のマーケットで見て、配給することを決めました。
チラシはMAYA MAXXさんに描いていただきました。



MAYA MAXXさんは怒りを見せている犬と優しい目をした犬と、二匹の犬を描いてくれました。

パンフレットで、アニメ「ガンバの冒険」の原作者である斎藤惇夫さんは、その文章の冒頭で次のように書いています。

犬を語る事で世界を語れるだろうか。
あるいは、犬を描くことで世界に愛を告げられるだろうか。


パンフには、ほかに『グレイまっているから』の伊勢英子さん、小説家の濱田順子さん、内田也哉子さん、比較詩学管啓次郎さん、坂本美雨さんに文章をいただき、鷹野依登久さんにドローイングを描いていただきました。その中から、坂本美雨さんの詩を引いておこうと思います。

撃たれた痛みの分だけ
捨てられた哀しみの分だけ
裏切りの重さの分だけ
失った口付けの分だけ
流した涙の分だけ、
強く。


冷たい視線の数よりも
投げられた石の数よりも
無くした笑顔の数よりも
寒さを乾きの空腹の数よりも
見てきた仲間の死骸の数よりも、
多く。


彼の一生を美しい風景の記憶と
愛の想い出で満たせるように。
きつくきつく抱きしめてあげたい。


バッサルを、すべての野良犬達を。

この映画のあと、いろいろなことを考えました。立ち上がりはしませんでしたが、ある映画の企画も考えました。直接関係があるわけでも、そうとは意識していたわけではないのですが、『私は猫ストーカー』を映画化しようと思ったきっかけも、案外この映画にあるのかもしれません。

またこの映画を見返してみようと思います。