今日はパンフレットの対談でした。

slowlearner_m2009-06-04



今日は、『私は猫ストーカー』パンフレット用の対談をしました。
対談したのは、原作の浅生ハルミンさん、鈴木卓爾監督、そして小説家の柴崎友香さんです。


柴崎さんは、1973年、大阪生れ。2000年に刊行されたデビュー作『きょうのできごと』が行定勲監督によって映画化。『その街の今は』で、’06年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞を受賞された気鋭の小説家です。



対談中の柴崎さん、卓爾監督、ハルミンさんです。

先日、新潮社から文庫化された『その街の今は』を読みました。
姿を変えていく大阪の街を舞台に、28歳の歌ちゃんの日々を描いたとてもいい小説です。今、歌ちゃんが生きている街と、かつてそこにあった街。小説の冒頭にすごく印象的な下りがあります。ひどい合コンの帰り道、歌ちゃんは仲間と「鰻谷」と呼ばれる場所を歩きながら、こんなことを考えます。

「…昔、ここは鰻がいる谷だったんだろうか、とても平坦な場所なのに、と、その時も思ったことを思って、またすぐに忘れてしまう。」


その後、歌ちゃんはクラブで知り合った良太郎とつき合うことになるのだけれど、ひどく酔ったために翌日にはどういう経緯でつき合うことないなったか覚えておらず、この小説は、今の街とかつての街をめぐっての「記憶すること」と「忘却してしまうこと」をめぐる小説として展開していくのです。

多分、わたしたちは、いろいろなことを「すぐに忘れてしまう」ですが、でもそれは本当になくなったしまったわけではなく、「すぐに忘れてしま」っても、実は「そこにある」のだと思います。

「今」だけでは「今」は存在しません。
「今」は、「忘却」されてしまった無数の何かに支えられて「ある」のだ、ということを、『その街の今は』という小説は歌ちゃんの日々を通して、指し示しているのだと思います。

その街をめぐる思考がとても心地よく、『私は猫ストーカー』の「町」のありかたと重なって、柴崎さんをゲストに「街」と「猫」の話を展開してみたいと思ったのです。


どんな対談になったかは、パンフレットをお楽しみに。
でも、その「忘却」されてしまった無数の何かがなければ、映画も小説も撮ることを書くこともできないだ、と三人の話を聞きながら、ぼんやり考えていました。



『その街の今は』です。
是非読んでみて下さい!!
柴崎さん、ありがとうございました。


その対談の帰り道、



猫がひとりで歩いていました。