美術の小澤秀高さんのこと

slowlearner_m2009-06-03



今日は、『私は猫ストーカー』のマスコミ試写会でした。
相変わらず満席で、ご覧いただけなかった皆さん、申し訳ありませんでした。
鈴木さん役の宮崎将くんや諏訪太朗さんも見に来てくれました。映画ライターさんに混じって、書評家であり、古本関係の著書を多く持つ岡崎武志さん(ハルミンさんが『『女子の古本屋』のイラストをお描きになっています)が晶文社のMさんといらしたり、書店の皆さんがいらしたり、『ぐるりのこと。』のキャメラマンである上野彰吾さんがいらしたり、相変わらず賑やかな試写室です。

そうそう。映画評論家の蓮實重彦さんがいらしてくだり、誉めて下さった後、「あと7分切ったら傑作だね」とおっしゃって下さいました。「あと7分」。とても励まされ、勇気づけられる言葉です。



映画『私は猫ストーカー』の美術は、小澤秀高さんです。
小澤さんは、武智鐡二監督『華魁』(82)、和田誠監督『恐がる人々』(93)、森田芳光監督『失楽園』(97)、篠原哲雄監督『木曜組曲』(01)、磯村一路監督『解夏』(01)、マキノ雅彦監督『寝ずの番』(06)、『次郎長三国志』(08)などの美術をされた大ベテランです。

今回の美術に関して相談したところ、「カメラたむらまさきさんなんだろ。オレがやるよ」と驚くようなことを言って下さったのです。装飾は、これまた大先輩の松本良二さん…すごく贅沢なスッタフ編成になりました。気がつけば、現場には10人程度の少人数しかいないのに、見渡せば、たむらさんをはじめベテランばかりです。そんな様子を見て、衣裳の宮本まさ江さん(やはり大ベテラン!)が、「今回の鈴木卓爾はツイている」と笑っていました。


小澤さんとは、一昨年、20年振りで再会したのです。
「プリクル」という小冊子でスタッフのインタビューの連載をさせていただいた時に、美術パートのお話を聞くのに小澤さんをお願いしたのです。私事になりますが、小澤さんは、わたしが助監督として初めてカチンコを叩いた出目昌伸監督『ガラスの中の少女』のデザイナーでした。


そして、生意気なのにまるで仕事ができない落第助監督のことをあれこれ気にかけて下さり、現場でいろいろな事を教えてくれました。映画のセットが、どのようにあるべきかを教えてくれたのは小澤さんでした。小澤さんは、現場では完全に失敗した部下を庇い、人前で叱ったり罵倒することはありませんでした。その変わり、美術ルームに戻った後は、ダメ出しの嵐です。
自分のスタッフとどうつき合うべきかを教えてくれたのも小澤さんでした。飲みに連れていってくれ、朝まで「自主映画をやれよ。それで撮影所の試写室で試写するんだ。オレが美術をやってるよ。金なんかいらないけど、高津(装飾)だけは払えよな」と励ましてくれたのも小澤さんです。


小澤さんについて書いているとキリがありません。


あの頃、小澤さんはすごく大人に見えましたが、まだ30代の後半だったはずです。
若き気鋭のデザイナーでした。
「若かったんですね、もっと上かと思ってました」と言うと、「そうだよ、オレ天才だもん」と小澤さんは愉快そうに笑ったのでした。


わたしも、そう思います。


小澤さん、ほんとうにありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願い致します。