摩擦音としてのファンタジー

slowlearner_m2010-07-25



先日書いた乙骨淑子さんの「人間をとりまいているさまざまの固定観念、限界、束縛などを解き離とうとする時に生じる摩擦音のようなものとしてのファンタジー」という考え方は、とても重要な気がしています。

ある切実な問題があり、そこから解き放たれようとする時に、どうしようもなくファンタジーが要請され、しかし、それは現実には絶対に実現できないからこそ、胸が苦しくなるくらいの切なさを作品が抱えこむことがあるのではないかと思うのです。絵本や児童文学が子どもに向けて提示する世界観は、ある“世界”を当然共有していることを前提として書かれた大人の文学よりも、はるかに現実的で切実なことがあると思います。大人同士の間では、前提なものが、子どもとの間では前提とならないことが多いからです。

例えば、



山脇百合子さんの『ゆうこのキャベツぼうし』(福音館書店刊)です。
何度読んでも切なくて泣いてしまいます。