『子どもの本の現在』再読。

slowlearner_m2010-07-22



清水真砂子さんの『子どもの本の現在』(岩波書店/同時代ライブラリー)を再読しています。大和書房で出た初版が1984年。今江祥智論を増補して同時代ライブラリーから出たのが1998年。もう20年を経た本ですが、同時代批評を越えて、今読んでもとても示唆的な本だと思います。

前にも書きましたが『ゲドを読む』を読んで、あらためて清水真砂子さんに興味を持ったのですが、その大きな理由として、『ゲドを読む』のインタビューの清水さんの発言の中に“乙骨淑子”という名前を発見したことがあります。

乙骨淑子さんは、『ぴいちゃあしゃん』『八月の太陽を』『十三歳の夏』などの書き、『ピラミッド帽子よ、さようなら』(未完)を遺して、1980年に51歳で亡くなられた児童文学者です。乙骨さんの創作が好きで読んでいたのですが、早く亡くなったこともあって、ずっと頭の片隅にひっかかっていました。でも、読み返すことなく随分時間が経っていたのです。だから清水さんの発言の中に“乙骨淑子”という名前を見た時には、ちょっと目眩がしたほどです。



今、冒頭の石井桃子論を読み、続く乙骨淑子論を読み、これから神沢利子論を読もうとしています。

石井桃子論を再読して、考えたことがあるのですが、それはまたの機会にして、乙骨淑子論に引用されている乙骨さんの発言を、忘れないように孫引きしておこうと思います。

「ファンタジーの問題にしても、子どもに空想力があるからファンタジーが児童文学の独自性の一つであるというのではなく、私は人間をとりまいているさまざまの固定観念、限界、束縛などを解き離とうとする時に生じる摩擦音のようなものとして、ファンタジーを考えてみたいと思っております。こうした対立概念から必然的に生み出されたファンタジーは、空想性と感受性の鋭い児童に最も理解できうるものに違いないと思うのです。」