ジョナス・メカス

slowlearner_m2010-06-10



来客の多い一日でした。
いよいよ明日は熊切和嘉監督作品『海炭市叙景』の0号初号です。
とても楽しみです。

そう言えば、ある人とジョナス・メカス監督の映画についてメールでやりとりしました。メカス作品は、むしろ好きな方です。昔、ベルリン国際映画祭で5時間ぐらいあるメカスの日記映画(と呼んでいいのでしょうか)を見ました。長いのに、とても見終わった時は幸福だったのを覚えています。歩く町の風景まで、違って見えました。



その人は、メカスの作品は「人と話すこと」がそのまま映画になっているのではないか、と書いていました。リトアニアから出て来たメカスは、英語が話すことができなくて、ボレックスでコミュニケーションをはじめたのも関係しているのかもしれない、と。



それを読んで、ああ…と思い出しました。
うちの猫は、野良猫のお母さんの落とし物で、まだ目も空いていなければ、一人で排泄もできないほど幼い状態でした。実家で猫が子どもを産んだことはありますが、その状態の子猫をひとりで育てたことはなかったので、ドキドキでした。目が片方ずつ明いた時は、とてもほっとして感動したものです。



こいつです。
見ていただくと分かるように、左目が先に明きました。

その時、目が明いたばかりの子猫や子犬に「世界とはこういうものだよ」と示す為の映像というのは、どういうものになるのだろう、と真剣に考えました。人間の子どもではなく、「言葉」という共通コードを持たない子猫や子犬でなければいけません。

メカスの言葉が通じない状態というのは、そういうことに近いのかもしれません。その後、英語を話すようになっても、メカスの映画には、そのような感覚が濃厚に残っているのだと思います。


絵本のことが気になっています。
絵本も、まだ「言葉」という共通コードを持たない幼いものたちに、「世界とはこういうものだよ」と見せるという性格があるのかもしれません。その時の「世界」とは、もちろん善悪ということも、道徳的なものでもありません。

例えば、これを「夜明け」と呼ぶ、とか…。



ちょっとうまく書けませんが、映画もまたそういうものであると思います。