『私は猫ストーカー』事始め1

slowlearner_m2009-05-11



7/4(土)よりシネマート新宿でロードショーされる浅生ハルミン原作、星野真里主演、鈴木卓爾監督作品『私は猫ストーカー』。
今日は、そのそもそもの始まりをちょっと書いてみようと思います。

浅生ハルミンの原作を手に取ったのは、この本が発売された直後だったでしょうか。本屋さんに平積みになっているのを見かけて、どうも気になって、昔は5F建てだった渋谷のブックファーストで買ったのが最初です。
ずっと犬や猫と一緒に暮らしてきましたし、「猫ストーカー」というタイトルも魅力的でした。
それに、ハルミンさんのエッセイを別の雑誌で読んでいた、ということもありました。



読んでみると、何とも切ない…。切ない上に、猫を追いかけることに独特な哲学があることが分かりました。

「あの子たちには飼い主に見せない“空白の時間”がある。」

と『私は猫ストーカー』には書かれています。

猫だけではありません、人にもまた空白の時間があります。
わたしたちは、愛する人を絶えず見張っているわけにはいきませんし(そうすると本当のストーカーですが)、例えばその人の“過去”を見張るわけにはいきません。



「猫ストーカー」のミソは、監視する(いわゆるストーカーです)ことではなくて、その空白の時間をも愛することについて、愛し方についての具体的な本だったのです。


幾つも面白かったところはあるのですが、猫にとって人間が作った区割り等なんの関係もない、というところを興味深く読みました。人間が、ここからが私の家、ここからがあなたの家と、自分の領地を塀で囲い、時にはそのことで争います。しかし、当然のことながら猫にとっては、そんなことは何の関係もないわけで、別のルールによって彼らは生きています。ようするに人間が張り巡らせた規則は絶対のものなんかではなく、猫から見れば随分奇妙な生き物であるにちがいありません。


映画にしたいと思いました。
もともとエッセイである『私は猫ストーカー』の中に、ほんの少しの物語の要素を入れることによって、ここに書かれていることが映画として結晶するのではないかと思ったのです。

そのヒントは、ずっと好きで読んで来た野呂邦暢さんの小説の中にありました。

すぐにこの本を編集したO氏に連絡をとって、映画化したいと伝えました。
ハルミンさんの快諾をいただき、映画『私は猫ストーカー』は出発したのです。



みなさんも是非、原作『私は猫ストーカー』(洋泉社刊)を読んでみて下さい。