『市川準監督のこと』を終えて。

slowlearner_m2009-03-29


市川準監督のこと 追悼・市川準監督レトロスペクティブ』が終りました。

打ち上げの席で『buy a suit スーツを買う』の助監督をされた末永さんが、市川監督からは「僕の現場で勉強しないでね」と言われたけれど、今回の上映に通って、やっぱり勉強させていただいた、とおっしゃっていました。

わたし自身も『トニー滝谷』で、はじめてちゃんと市川監督にお会いして以来、ことあるごとに市川監督の映画から、映画製作の可能性というのでしょうか、やってみなよ、こんなこともできるよね、と背中を押していただいたような気がしています。

公開当時、「手法が勝っている」と批評された作品も、今見直すと、それほど特異な手法をとっているわけではありません。そして、今回の上映でその何作品かを見直して、市川作品の中に埋め込まれているテーマの一貫性と、その変奏を強く感じさせられました。

ノーライフキング』で「リアルですか?」と問うた少年は、20年後、『あおげば尊し』の中で、「もう教師を辞めたい」と酔いつぶれる若手教師になっていました。「リアルですか?」という問いは、『あおげば尊し』の「死」の意味が理解できない小学生の少年の中にエコーしています。



『会社物語』でハナ肇さんが引っ越し、息子が金属バッドを振り回して家庭内暴力ふるう郊外の住宅地の20年後は、『あおげば尊し』の狂気を孕んだ無機質な住宅地です。

『BU・SU』のヒロイン麦子の苛立ちは、『東京マリーゴールド』の田中麗奈さんが演じるエリコの寄る辺なさとして変奏され、仲間と遊びに行ったボーリング場で、順番を待ちながらひとり文庫本を読んでいるエリコの苛立ちは、麦子が抱えていた苛立ちでもあるのでしょう。


そして、『buy a suit スーツを買う』の最後で、人は不意に姿を消してしまいます。



大阪物語』で沢田研二さんが演じたお父さんもそうですが、末期医療の医師たちと患者の姿を描き出す『病院で死ぬということ』では、「死」は直接的には描かれてはいません。

患者は、不意に姿を消すのです。
そして、看護婦さんによってベッドの上は片付けられ、そして新たな患者を迎えるためにベッドはまた整えられます。

人は、そのように不意に姿を消してしまうものなのかもしれません…。