浦岡敬一さんのお別れの会

slowlearner_m2009-03-14



今日は、浦岡敬一さんのお別れの会でした。
浦岡さんは、映画の編集者です。松竹に入社でして、小津安二郎監督の編集を担当してた浜村義康さんの助手などを経て、小林正樹監督『人間の条件』で技師デビュー。その後は、大島渚監督の『少年』『白昼の通り魔』『東京戦争戦後秘話』『愛の亡霊』『愛のコリーダ』など作品をはじめ、小林正樹監督『東京裁判』、寺山修司監督『書を捨てよ町へ出よう』、中村登監督『紀ノ川』、今村昌平監督『復讐するは我にあり』など数多くの作品を編集されました。



浦岡さんは、昨年の11月24日に78歳でお亡くなりになりました。

ちょうど鈴木卓爾監督『私は猫ストーカー』の準備をしていた頃で、編集の菊井貴繁さんからその訃報を聞きました。

浦岡さんは、わたしの親戚で、映画の仕事がしたい、と言い出した17歳の頃、父親が浦岡さんを紹介してくれました。わたしは、それまで映画の仕事をしている人が親戚にいるなんて、これっぽっちも知らされてはいませんでした。ともかく、その時お会いした浦岡さんと、父親の高校の後輩で(わたしにとっても先輩になるのですが)映画監督の澤井信一郎監督が、初めてお会いする映画人ということになったのです。


東京に出て来た後は、浦岡さんの綱島のお宅におじゃまして、いろいろと映画の編集の話をお聞きしました。特に大島渚監督の作品での仕事のお話は、今でもとても印象に残っています。浦岡さんに、今まで一緒に仕事をした映画音楽の作曲家で、一番肌が合う作曲家は誰か、と聞くと、すぐに武満徹さんとお答えになりました。それから、ちょうどテレビで放送されたばかりの実相寺昭雄監督、倉本聰脚本、笠智衆主演のドラマ『波の盆』の編集のお話を聞いたのです。



武満さんのサウンドトッラクも名盤です。今でも繰り返し聞くCDです。
でも、もう武満さんも実相寺監督も亡くなってしました。

浦岡さんは、朝起きると仕事をはじめる前に必ず、ストップウォッチのスイッチを押し、見ないで1分で止めるそうです。それが、1秒でも狂っていると、その日は調子が悪いから、とくに気をつけて編集をするのだと教えてくれました。

映画のことを考えはじめた時期に、浦岡さんから直接お話をお聞きできたのは、とても幸福なことだったと思います。映画の仕事をしていると、今でも浦岡さんから聞いた編集の考え方を反芻します。本編を作っていても、予告編を作っていても。

浦岡さん、ありがとうございました。
そして、とても寂しいです。