退屈さについて2

slowlearner_m2011-06-05



ずっと引用しよう引用しようとしてサボっていた、丹生谷貴志さんの文章がこれです。丹生谷さんは「誤解を恐れずに言えば」と断った上で、こう話しています。


「むしろ危険なのは、何もやることがないという状態からの脱出を夢見始めてしまうことであり、また、やることがない状態を人間が耐えられないと信じ込んでしまうことだと思う。アンニュイは、絶対的な非ファシズムです。何かしなければならないっていう切迫はファシズムです」


「…ドゥボールは或る意味では退屈、アンニュイへの恐怖を利用したいわゆる「レジャー権力」みたいなものを解体しようとしたわけですよね。労働者たちのアンニュイへの恐怖を利用した権力が成立してしまったのだと。そうであれば当然、それを奪還するためには、アンニュイを引き受ける必要が出てくるわけです。アンニュイから抜け出す別の教えをたれることじゃなくて」


これは丹生谷貴志さんの『死者の挨拶で夜がはじまる』(河出書房新社刊)の冒頭に掲載された鈴木創士さんとの対話の一部です。
この対話を読み、丹生谷さんの評論を読んで、このアンニュイ、退屈さについての考えを、ずっと大事なことだと考えてきました。この対話での丹生谷さんのアンニュイに関する発言は、映画を考える上でとても重要なことを含んでいると考えたのです。


もしかすると渋谷で撮影した映画は、この対話に触れて以来考えていたことが、少しだけ映画のかたちで実現できたかもしれません。