メリエスを見よう。

slowlearner_m2009-12-26



昨夜の打ち合わせが終ったのは、結局午前4時過ぎでした。



さて、浅生ハルミン原作、星野真里主演、鈴木卓爾監督作品『私は猫ストーカー』は、この後は、大津・滋賀会館シネマホール、シネマテークたかさき那覇桜坂劇場での上映があります。


大津・滋賀会館シネマホール 12/26〜 http://www.rcsmovie.co.jp/shiga/

高崎・シネマテークたかさき 1/9〜 http://takasaki-cc.jp/

那覇桜坂劇場 2/27〜3/5 http://www.sakura-zaka.com/


26日から滋賀会館シネマホールで上映です。是非ご覧いただければ幸いです。



ゲゲゲの女房』の打ち合わせをしていると、撮影のたむらまさきさんの口からジョルジュ・メリエスの名前が出ます。この間、フェリーニの『そして船は行く』を久しぶりに見たということもあるのですが、メリエスを見返そうと思います。







「俺は愛した、痴人の絵を、欄間の飾りを、芝居の書割、辻芸人の絵びら、看板、絵草紙を。又、時代遅れの文学を、坊主のラテン語、誤字だらけの春本を、俺達祖先の物語と仙女の小噺、子供等の豆本、古めかしいオペラ、愚にもつかない畳句、あどけない呂律を。
俺は夢みた、十字軍、話にも聞かぬ探険旅行、歴史を持たぬ共和国、息詰る宗教戦争、風俗の革命、移動する種族と大陸。俺はあらゆる妖術を信じていた」


これは、ルネ・クレールが「メリエスがパリのグラン・カフェの地下で初めてリュミエール兄弟のシネマトグラフを見た時から四半世紀前に書かれた映画の詩的マニフェスト」として引用するランボーの『地獄の季節』の一節です。


山田宏一さんによれば、ルネ・クレールは続けて次のように指摘します。

ランボーのように」、最初の映画は「あらゆる妖術を信じ」、「そして奇術師と手品師の祝福のもとで誕生し」、「いかがわしく俗っぽい」すべてのものを愛し、「こういうもののなかに、映画は一目で詩的鉱脈を見つけ、そして私たちの心のなかに幼年時代を照らし出す奇跡への愛を目覚めさせたのだ」。


わたしたちの映画は、このような「最初の映画」から随分遠くに離れてしまったような気がします。フェリーニの『そして船は行く』を見た時にも、こういう映画を見なくなって随分経つな、と思ったのです。