エリック・ロメール監督のこと

slowlearner_m2009-01-10


「…なかんずく、ロメールの味わい深い『海辺のポーリーヌ』は、近年、私がアメリカで撮ってきた一連の映画とは対照的に、私に謙虚さの感覚を取り戻させてくれるに違いないものだった。撮影はノルマンディーで、五週間ほどでたいへん素早く行われ。スタッフも最小限度のものだった----何しろキャメラに三人(私自身、撮影助手、照明係)と、録音に二人(録音技師とマイクマン)だけという編成だったのだ。ほかには、助監督も、スクリプターも、美術監督も、メイク係も、衣装係も、特機係もいなかった…。『海辺のポーリーヌ』がこうしたやり方で撮影できたのは、ひとえに、ロメールが予算上の制約に留意するだけでなく、それを最大限に活用しながら、この作品を構想し、シナリオを書いたからだった。シナリオの登場人物は六人で、したがって彼は六人の俳優を見つけるだけでよく、また、撮影場所についても、浜辺と別荘という、三ヶ所だけでよかった。」

ネストール・アルメンドロス『カメラを持った男』(武田潔・訳/筑摩書房


エリック・ロメール監督の『海辺のポーリーヌ』は傑作です。
撮影を担当したアルメンドロスが言うような状況で撮られたからといって、この映画が貧しい映画だと(もちろん金銭的な意味ではありません)言うことはできないでしょう。
しかし、巨額な映画の縮小版の現場を構想していたとしたら、この映画は貧しいものになったのかもしれません。
巨額な映画と低予算の映画。
巨額なお金がかかったからといって傑作だということではありません。
しかし、低予算だから傑作だということでもありません。
フィリップ・ガレル監督は、映画はデカルト的な経済の中で撮られる、と話してくれた事がありました。
映画作りとは、つねに具体的なものだと思います。

では、『海辺のポーリーヌ』は、何を、どのように撮ろうとしたのでしょう?
ロメールは予算がないから、仕方なくこのような映画を撮ったのではないでしょう。
このような映画を、このように撮ろうとしたのだと思います。

是非『海辺のポーリーヌ』を観て下さい。
この映画を見ながら、いつもエリック・ロメール作品の攻撃性と、自由さについて考えてしまいます。